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スターリングラード

スターリングラード [DVD]スターリングラード [DVD]
(2001/11/21)
ジュード・ロウジョセフ・ファインズ

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なんか、惜しい映画じゃなかろうか…。

映画は、主人公のザイツェフ幼き頃の狼狩りで幕を開ける。
場面変わって独ソ戦。貨物車にこれでもかと詰め込まれる若い兵士達。乗っていた民間人は叩き出され、少しでも空間を捻りだすため、兵士達も立って乗車せねばならない。
息つく間もなくボルガ河畔に到着。今度はボートに詰め込まれた新兵達。スターリングラード市街地に向けて無謀な渡河をさせられる。そこを独軍のシュトゥーカが急降下攻撃。一方的な銃火と爆撃に、パニックを起こす新兵。しかし川に飛び込み逃亡を図った者の背中には、政治委員のナガンリボルバーが容赦なく浴びせられる。

なんとか河を渡りきった先の市街地は、ほぼ廃墟と化している。将校の拡声器から、突撃命令が放たれる。
弾は一人5発。銃は一人半挺…「銃は二人につき一挺が支給される! 銃を持たぬ者は、持つものが倒れたら、それを拾って突撃しろ!」

運悪く、銃を与えられないまま敵陣に走らされるザイツェフ。目の前で倒れた兵士の手元から拾おうとするが、一手遅れて、他の兵士に奪われる。

無謀な突撃。伏射姿勢で待ち構えるドイツ兵の前に、若い兵士達が次々に倒れる。たちまち戦線は瓦解し、ソ連の新兵達は敵に背を向け撤退しはじめる。

「一歩も退くな! 逃亡兵は銃殺する!」
待ってました、みんな大好き督戦隊。拳銃のみならず据付の機関銃まで持ち出して、士道不覚悟の逃亡兵どもに容赦なく鉛玉を浴びせる。

ソ連兵の死体で満たされた戦場に、ドイツ軍の放送が響きわたる。「ソ連兵諸君、我々は敵では無い。兵士達を死地に追いやるスターリンとボルシェビキこそが君達の敵である」と。

そんなこんなで、召集→到着→突撃→全滅を一息に見せてくれる序盤。人海戦術、二人一丁、督戦隊…「ソ連マジどうしようもねぇな…」と思わせてくれたところで、主役の活躍。折り重なる死体に隠れて、いかにもナチでデヴな将校を嚆矢に、モシン・ナガンの1クリップ5発全てを、ドイツ兵の額に叩きこむ。
この功績により彼はソビエトが誇る最高の狙撃兵として祭り上げられ、活躍と葛藤を繰り返すことになる。

中盤の狙撃戦も良い。特に工場の戦闘。パイプをくぐって回り込み、ガラスの破片を利用して敵の位置を探る。少しでも身体を出せば、死が訪れる。
「はるか遠くの敵をも射抜く」というよりは、「待ち構え、先回りし、一瞬の隙も逃さない」という狙撃戦だ。そのため、「一撃の為にそこまでするか」と唸ることは多いが、対して、「あんな遠くの小さな的によく当てられるな」と驚くことは冒頭以外はあまり無い。室内戦も多いためだ。

待ちに徹し、一瞬の隙も逃さない老練の狼・ケーニッヒ少佐。
敵の動きを探り、チャンスを作り出す若き狩人・ザイツェフ。
この対決の構図だけでも、つい燃えてしまうことは言うまでもなし。

…いいじゃねぇか。何が惜しいってのか。
…もしかして、やっぱり。
うん、そうなんだ。要は、「三角関係とかそういうのはいいから、戦闘に集中してくれよ」、ってことなんだ。

(以下、かなりネタバレ)
こう反論されるかもしれない。
ザイツェフとケーニッヒの決着において、友情と愛情は重要な役割を果たしている、と。
たしかにその通りだ。若きザイツェフの技量は、老練のケーニッヒには及ばない。最終的に勝敗を分けたのは、狙撃の技術ではなく、彼らが負っているものの差であった。
片や、恋人を失った怒りと悲しみ。そして、失われつつあるゆえに輝きを増す、友人との絆。
片や、息子を失った悲しみ、ベテラン職業軍人としての矜持、そして除隊を迫られつつある焦り。
ケーニッヒは最後の戦闘ではそれまで保っていた冷静さを欠く。勝利を確かめるために、無謀にも立ちあがりザイツェフのポジションを探ろうとし、その結果、敗れる。

その通り。技ではなく、情が勝敗を分けた。

…だが、そういう決着を採るべき必要があったのか?
普通に、戦闘の技術に重点を置いてくれて良かったのではないのか?
技術があるだけでは勝てない、感情がなければ勝てない。たしかにそうかもしれない。しかし、この映画の場合、画面には三角関係という要素を、台詞には体制批判という要素を、それぞれ混ぜ込もうとし過ぎていて、結果としては戦争そのものの描き方が不徹底になってしまっている。

例えば、自分が恋に破れたことがわかるやいなやザイツェフ批判を新聞に載せる、終盤のダニロフ。あまりに唐突で度が過ぎており、見ていてつい笑ってしまったくらいだ。
ショタが吊られてしまったことも気づかずイチャイチャしている主人公とヒロインの姿にも、不快感を覚えた(←これは非モテゆえの理不尽な考え方かもだ)。

ユダヤ人問題も交え、ナチスのみならずソ連の体制も批判している。だが、その批判内容は、「平等の名の下に特権階級支配」を平板に語るのみで、わざわざ台詞にするまでも無いのではとさえ思う。
ソビエトの体制のマズさについては、冒頭の戦闘の酷さだけで十分伝わる。仮にそれが無かったとしても、極端な話を言えば、フルシチョフの存在だけでも十分に体制の矛盾が説明できているのではなかろうか。着任早々スターリンの威光を振りかざし強権的な指揮を執り、戦争におけるプロパガンダの威力を最大限に活用し、その為には人民の命も金も惜しまず、しかし後にはスターリン体制を批判し冷戦の雪解けにも貢献したという史実。

三角関係と、体制批判の上滑り感。
この上滑り感を合理的に説明できる、一種のトンデモ説をぶち上げることも不可能ではない。

「これはソ連のプロパガンダ映画のパロディですッ!」(C・風のシスティーナ)
…という説を。

根拠はいくつもある。
・ザイツェフの来歴をはじめとして、史実とはかなり異なる
・ザイツェフは「祭り上げられた田舎者の英雄」であることが強調されている
・「愛と死」というわかりやすい構図
・そもそもケーニッヒ少佐は、ソ連がプロパガンダ用に作り上げた架空の人物らしい
・エンディングが、ソビエトのプロパガンダ映画風である。
…。
あとは任せたキバヤシ。どうも、この説を膨らますのは不毛な気がするんだ…。


というわけで、「戦闘以外の要素を無節操に詰め込み過ぎで、どうも惜しいなぁ」と感じた映画だった。
だが序盤や中盤の戦闘がいいセンスだったのは間違いない。主演のジュード・ロウも、悩める天才狙撃手の格好良さと、学の無い田舎者のイモ臭さの両方を完璧に表現していて素晴らしい。
憎み切れない…むしろ好きなくらい…どうすればいいのだろう…この感情…。

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シャーロック・ホームズ

http://wwws.warnerbros.co.jp/sherlock/

『アバター』を観に行ったときのこと。
何やら気になるポップ広告がありました。
ガラの悪そうな中年男二人が、ヴィクトリアン臭を仄かに漂わせつつ、不敵なまなざしでこっちを見ている…という。

タイトルは、『シャーロック・ホームズ』(※1)。
チョイ悪な駄目中年にしか見えない探偵ホームズと、裏で臓器密売買でもやってそうなツラのワトソン君。

sherlock.jpg



「・・!!」
 ・・・チガウ・・・今までの映画とはなにかが決定的に違う。スピリチュアルな感覚がアタシのカラダを
駆け巡った・・。「・・(面白そう・・!!・・これって運命・・?)」


そんなわけで、念願の『シャーロック・ホームズ』を観て参りました。

予告編やチラシでは黒魔術だの格闘術だのを強調していたため、「推理なんざどうでもいいぜ!アクションに徹底するぜ!」的なノリを予測しておりました。
いざ映画を視始めても、クロスカッティングで「まずは耳…次に肝臓…仕上げは腹…奴は15分は動けない」などと解説する、妙にロジカルな格闘シーンが印象強かったため、「論理的なのは格闘場面だけに絞るんですね、わかります」とナメていました。
でも、実は結構推理要素があったりします。ホームズおなじみ(※2)、相手の外見のみでその来歴を推理する程の観察眼を決めてくれます。ばら撒いた謎や伏線はちゃんと回収します。「こういう映画だから細かいこたぁいいんだよ!」ってな最終兵器的理屈に逃げたりはしません。前述のクロスカッティングの巧みさは、格闘シーンのみならず推理シーンでもしっかり活かされています。

バカなノリは強いけど、全部バカで突っ切るほど造りが粗いわけではない。それどころか、丁寧なくらい。
いい意味で騙されました。
この丁寧さ、実にウザい(ほめ言葉)!

そう、妙に丁寧な映画なのです、これ。

ロンドンの風景も良い感じであります。「霧の都」との形容が相応しい昔ながらの建物や雑踏や河に、産業革命の息吹を与える歯車と蒸気。テムズの河に雑然と浮かぶ鋼鉄船、そしてタワーブリッジの様子には「あぁ…ヴィクトリア朝のロンドンだなぁ…」と、妙に心地よくなりました。
スチームパンク好きの人にもたまらないのかもしれません。

まぁそんなこんなで、「意外と推理要素もある」「ヴィクトリア朝ハァハァ」ってところも良いところなんだけど、それより何より、キャラが素晴らしい。
乱暴に言うと、探偵・助手コンビのどちらもツンデレ。論理武装して強がるホームズ、ぼやきながらも世話を焼くワトソンと、それぞれタイプは違うけど、こいつらはまごうこと無きツンデレオヤジであります。

敵方をあえてわかりやすい悪人(でも誇大妄想的陰謀って…嫌いじゃないわよ…)に設定して、主役であるツンデレオヤジコンビのいちゃつきを濃厚に描き出しております。
一応、ホームズにもワトソンにもそれぞれアドラーとメアリーという女性があてがわれており、この二人も決して影が薄いわけではないんだけど、それでもホームズ×ワトソン(アッー!)の絆の濃さには敵いません。ゲイ疑惑をカモフラするために女を作ってる、と揶揄されても文句は言えないでしょう(笑)。

他人やクスリに依存気味な天才ホームズと、苦労性な世話焼き女房のワトソンが、男の絆で事件解決。
こう書くと非常に暑苦しい。
けれど、「俺一人ではダメだけど…仲間がいれば…奴にも勝てる!」的なクドい台詞があるわけではなく、かと言って、信頼と情愛に満ちた視線で見つめ合いまくるというわけでもありません。

ホームズは我儘で、それでもワトソンが居ないとすっごい寂しそう。
ワトソンは迷惑そうで、それでもホームズが居ないとどこか物足りなそう。
そんな演技を一貫することで、切っても切れない腐れ縁的な絆が描かれています。燃えますし、笑えます。人によっては、萌えもするでしょう(かくいう私もその一人でね…)。

洗練された暑苦しさ、とでも言いましょうか。いや、変な方向に尖った暑苦しさ、と言った方が正しいか(笑)。
わたくしのような、多少頭の腐った人間にはたまりません。そういう方でなくとも、嫌悪感なく楽しめるとは思いますがw

しかし、主演のロバート・ダウニーJr、いいですね。『アイアンマン』の社長の天才っぷりや『ゾディアック』の記者の落ちぶれっぷりも良かったけど、それらを併せ持った性質のキャラであるホームズをも好演してます。ちっとも英国紳士には見えない風貌と衣装と仕草で、まわりから完全に浮いている変人・ホームズ(やるときはやれる駄目人間ってのはとっても掘れます。あ、惚れます)。『アイアンマン2』にも期待したいところです。

モヤモヤするものも残らず、純粋に「楽しかったー!」と言える映画でありました。
あ、いや、続編が気になってモヤモヤしちゃうけどね。モリアーティがプロフェッサー・ガン(装飾デリンジャー)でガン=カタすると思います、多分。

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MGSとマルドゥック・スクランブルの映画化の話

○メタルギアソリッドの映画化企画が事実上中止に?
http://gs.inside-games.jp/news/215/21569.html
おいおい、結局お流れかよ…。
期待していたかどうかと問われれば、もちろんイエスと答えざるをえない。だって、信者だもの。
映画から様々なものを吸収して成功したMGS。それが映画になってまた成功する様を見れたとしたら…、鮭の産卵を見たときのように感動できただろうに(例えが意味不明)。
もし失敗しても、「孫悟空がモテるために拳法習ってるとかねーよwww」みたいなかんじで笑い飛ばせる。
監督はカート・ウィマーになるという噂もあったから、もし公開されてたら「あれCQCじゃなくてガン=カタ3.0じゃんwww」みたいに盛り上がれたやも知れぬ。
草生やし杉。自重する。
まぁ、何はともあれ残念だ。ハリウッドではこういう事例はよくあることらしいけど。

ところで、海外の有志が勝手に作ったMGS映画がありましたな。
http://www.mgs-philanthropy.net/
自分はまだ冒頭部くらいしか視ていない(読み込みが遅かったので)けど、この力の入り具合は凄い。


○マルドゥック・スクランブルが劇場アニメ化
http://m-scramble.jp/
原作は冲方丁のSF小説。近未来都市マルドゥック・シティを舞台に、元少女娼婦のバロットがネズミ型万能兵器ウフコックとともに、自らの存在意義を賭けて戦う物語。
アニメ化企画は2006年に一度ポシャった。その時はGONZO15周年記念作品としてテレビアニメ化される予定だったが、今度の企画では劇場アニメになるらしい。前の企画を受け継ぐ形なのか、まったく新しい企画なのかどうかは不明。なので制作会社・スタッフ・声優などがどうなるのかについても続報を待たねばならない。

バトルやギャンブルの場面が凄く格好いい小説なので、映像化されたものも見たいと思っていた。
また、原作小説ではそれほど描写されていなかったマルドゥック市の風景をどう表現するのかも見どころだと思う。普通に考えれば「サイバーパンク→薄汚れた近未来→ブレードランナーみたいな雑然とした都市」なのかもしれないが、自分としてはもっと整然としたイメージを持っている。

ちょうど夏に原作を読み終えたところ。
今年中にウフコックを主人公に据えたマルドッゥク最終章も出るらしいし、『マルドゥック・ヴェロシティ』の方も買っておこうか(また積み本が増えるな…)。

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アバター

あけましておめでとうございます。

先日、仲間内で『アバター』を観てきたので、その感想を。

勿論、3D版を観て来た。

お気づきの方も居らっしゃるかもしれないが、最近の自分は「みる」という時の表記に何となく気を遣っている。
「見る」なら見物の見ということで、寺社などをみた場合。
「視る」なら視聴の視ということで、テレビで映像作品(映画ソフト含む)をみた場合。
「観る」なら観劇の観ということで、劇場で映画などをみた場合。
別に「見る」だけでも問題ないのだろうけれど、大画面向けに作られた作品はやっぱり「観る」と表現した方がしっくりくる。

しかし、今回は「観た」では何か言い足りない気がする。
ちなみに、キャッチコピーは「観るのではない。そこにいるのだ」だ。
観る前は、少し疑ってかかっていた。だけども、実際にはただただ映像に圧倒された。
惑星パンドラの自然描写の細かさには驚くばかり。不思議生物の生態系には想像力を掻き立てられる(特にダヴィンチのヘリコプターみたいな小型翼竜が好き)。
ただの気持ち悪い青い猿(登場人物・談)にしか見えなかった先住民ナヴィが、次第に可愛らしく見えてくる。
もちろん戦闘の場面も迫力十分(軍事的な説得力はこの際置いとけ)だ。こっちにガスグレネードが飛んできたときなど、つい身をそらして避けようとしてしまった。
小説等での3人称視点の特殊な場合を「神の視点」と言ったりするけど、アバターってある意味そんなかんじなのではないか。エイワ(※ナヴィたちが信じる神)の視点。

ストーリー自体はわりと平凡ではある。
自然豊かな惑星に、未開の先住民が居て、侵略の尖兵として主人公は向うが、次第に心が変わっていき…という。
でも、ぶっちゃけストーリーなんて最低限組まれていればおkでしょうよ。「ありきたり」とか「展開が読める」とか脊髄反射で言っちゃうのやめようぜ、な?
まぁそんなわけで、自然との共生とか先進国の侵略とかそのへんのテーマのことは敢えて語ることもないだろうが、ナヴィたちの自然との結びつき方についてはかなり面白かった。自分の髪と動植物の触角・触手を電子ケーブルのようにして絡みつけることで情報を交わし合っており、まるで電脳世界にジャックインするかのよう。
新聞に載っていたインタビューでキャメロン監督は「SFというジャンルは実は未来予測は不得手であるが、現代を描きだすのに適している」というようなことを答えていた。上記のような描写にこの考え方が表れていると思う。
「生物は情報の高能率パッケージ」なんてことが『攻殻機動隊』で書かれていたが、そのパッケージをどう用いるべきかという問題に立ち入っているとも読める。主人公が双子の片割れであることは、このことと無縁ではないだろう。双子は自然に遺伝子情報が一致した存在であり、物語においては古今東西問わず神秘的な扱いをされる存在だから。

まぁ、とにかく、3Dで描かれる架空世界が素晴らしい。
3D映画は初めてだけど、本当に観て良かったと思う。

3Dすげぇ、と言うと「じゃあ、3Dじゃなけりゃ大したことないんじゃね?」とか言われてしまうかもしれない。
だが、そういった考え方は的外れだと思う。
3D上映を前提に設計された映画であることが一目瞭然だからだ。
例えば、2Dならばフォーカス送りで観客が注目すべき点を操作せねばならない場面がある。「背景→その前に立っている人物」といった具合に、不連続的な手法で観客の視点を操ることになる。
だが、3D版『アバター』においてはそういった手法に頼っていないのに、観客が視点を誤ることは無い。連続的にピントが合っているからだ。
「もし3Dじゃなけりゃ~」って考え方は、「もし地球が平らならインドに着けなくね?」ってくらい無茶だろう。

というわけで、「DVDでおk」などと言わず、ぜひ3D対応劇場で観ませう。

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宇宙戦争

宇宙戦争 [DVD]宇宙戦争 [DVD]
(2006/07/07)
トム・クルーズダコタ・ファニング

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○あらすじ
レイ(トム・クルーズ)は妻から離縁されたばかりの、冴えない中年労働者。子供達は自分で預かることになったが、彼らとの関係もぎくしゃくしていた。
ある日、町の中心部の交差点に何度も何度も雷が落ちた。レイはその落雷現場に野次馬の一人として向かうが、突然そこの地面から巨大な歩行兵器が出現した。
トライポッド。唸り声のような奇妙な音を発しながら、恐ろしい破壊光線と鉄壁のシールドをもって虐殺を繰り広げる、宇宙人の騎馬。
子供たちを引っ張り、辛うじて町から逃げることができたレイだが、すでに侵略は世界規模で始まっていた。

(以下、「宇宙戦争」はもちろんのこと「インデペンデンス・デイ」のネタバレも含むので注意)

○感想
理不尽な暴力。
理不尽。文字どおり、「理に合わない」という意味のことばだ。

ある日突然、わけのわからないものが現われて、わけもわからないままに殺される。
「わけのわからないもの」ってところがポイントだ。この映画の場合は、地球人を襲う宇宙人のこと。
侵略の理由も兵器の性能もわからない。そして何より、どのような思考回路が備わってるのかがわからない。
どのように考えながら成立してきた生物なのか、どのように考えてこのような行動をしているのか、本質的には理解する糸口は無い。

理不尽な存在だ。融和はできない。殺すしかない。

「インデペンデンス・デイ」という映画があった。宇宙人の巨大円盤が地球を侵略していく映像が凄い。軍事描写などにテキトーな部分は散見されるが、「細けぇことはいいんだよ!」とばかりに、ついついそんなところは流して視てしまいたくなる。
だがそれでも、やっぱり「あの部分は流しちゃいけないよな」って思うところがある。この「宇宙戦争」を視て、そのことを再確認した。どの部分かと言うと、
・円盤を覆うシールド兵器は、コンピュータウィルスにより無効化できた。
という部分だ。

つまり、宇宙人も地球人と同じ(または簡単に解析できる程度に似た)プログラム言語を使っていたというわけだ。
プログラミング言語は、地球人の論理が生み出した賜物だ。それを宇宙人も使っていたということは、宇宙人の論理体系も地球人の論理体系も変わらなかったということだ…と言ってしまっていい。

なんだ、わけのわからない宇宙人かと思ったら、こっちの論理が通じる余地があるのか。十分わけがわかるじゃないか。完全なまでの“理”不尽とは言い難いじゃないか。
「理不尽な存在だ。融和は出来ない。殺すしかない」という方針で話を進めていたはずなのに。

と、そんなわけで、「インデペンデンス・デイ」の、理不尽を描ききれていない点には萎えてしまった。

このような考え方に対して、以下のような反論もあるだろう。
a・「宇宙戦争」だって、「宇宙人も風邪をひく」なんてオチじゃないか。「宇宙人に人間の理が通じている」のではないのか。
b・現実の戦争だって、同じ論理体系が備わっている地球人同士が争っているだろう。
この二点について、考えていきたい。

a.
暴論かもしれないが制作者(というかスピルバーグ監督)にとってオチはどうでもよかったんじゃないか。
描きたかったものは、どう考えても、人がバンバン死んでいく暴力シーンだ。あのオチと結論を描きたかったわけではないだろう。
理不尽と言うよりは、ほとんど不条理と言った方がいいような暴力。
トライポッドが発する光線は、あらゆるものを一瞬で塵と化す。
ただし、狙いはあくまで人間だ。
街ごと一気に吹き飛ばしたりはしない。一人一人、恐怖に慄く表情を観客に見せながら、殺していく。
「一瞬のことだったので、苦しまずに逝った」などという救いは与えてくれない。
街を壊さず、人を殺す。占領の構図。

そもそも、「奴らは人類が生まれる前からこの侵略を準備していたんだ…勝てるはずがねぇ」というセリフからして、制作者自らあのオチを否定しているように見える。
天災の極みのようなもの(それでいて、天災ではない)に、人類が勝てるはずがない。
もし、最初から最後までひたすら地球人が殺されるだけで、主人公一家も救われないような映画だったら…と、薄暗い(そして爽やかな)妄想が湧きあがる。

b.
人間同士の間に働く暴力も、イヤというほど描かれている。
車を手に入れるために殺し合う民衆(地面に落ちた銃を男が見つめる場面がたまらん)、娘のために人を殺す父親(敢えて殺害の様子を直接見せず、カメラは娘の居る側に固定してるのは流石)。
独立の名のもとに人類が力を合わせる「インディペンデンス・デイ」のような映画ならば、「地球人vs宇宙人」という単純な二者対立の構図が成立していた。
「宇宙戦争」はそうではない。極限状態に陥った人間同士が、エゴむき出しで争う部分にも焦点をあてている。
一応、軍隊も出てきてトライポッドと戦う。だが、どこか統制のとれていない兵士とジープの動きからは、無謀っぷりが滲み出ている。勇敢に立ち向かっている、とは言い難い。
あくまで、「宇宙戦争」で描かれている人間同士の争いは、個人と個人の争いだ。集団と集団、あるいは個人と集団の争いではない。
現実の戦争というのは言うまでもなく集団と集団の戦いから始まるが、劣勢の集団はだんだんと個人へと分解されていき、しまいには集団から個人への暴力(処刑や虐殺)へと的を絞られていく。
そして、宇宙人から地球人への攻撃は、先ほども「一人一人殺していく」と書いたように、集団から個人への攻撃だ。
現実の戦争が「集団対集団→優勢の集団対劣勢の集団→集団対個人」という道を辿るものであると単純化すれば、「宇宙戦争」は「最初から集団対個人」だ、と言える。
最初っから、末期の様相を見せている戦争。理不尽極まりない。
一応は同じ論理体系を持っている人類同士でも、こういう理不尽は起こりえる。実際には、そんな始原的な部分での共通なんてものは殆ど効力を為さないために。
その極致を映画の形で描いたものとして、「宇宙戦争」が在るのだと思う。
理不尽(理屈に合わない)というより不条理(理屈じゃ説明できない)の域に入っている、と言えるかもしれない。


以前の記事でこの映画を薦めてくれた一斗さんと、目も眩むようなレビューを書いた故伊藤計劃さんに感謝。

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プロフィール

Solidrb

Author:Solidrb
自他ともに認めるMGS(メタルギアソリッド)フリークス。
その証拠に、当初はもっと幅広く話題を扱おうかと考えていた(←大嘘)このサイトも、ずるずるとMGSネタオンリーブログになりかけてきている。

SFを中心に、様々な作品に触れようと目論んでいる。
が、生来のヘタレゆえ、なかなか数がこなせない。

twitterや読書メーターもやっているので、そちらにも是非いらしてください。

○注意書き
・コメント、拍手
常に餓えておりますので、古い記事にもぜひ気軽にどうぞ。名前欄はテキトーでもおkです。
(今後どうなるかはわかりませんが)全レス主義で臨みます。
コメントは承認制を採っていますが、スパム以外は基本的に消さない方針です。

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