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魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語

○はじめに
とんでもないサイコレズ映画でした。

○感想
2011年4月、紆余曲折を経て放送されたTVシリーズの最終回は絶賛をもって視聴者に迎えられた。スタッフの技術の結晶である最終回の出来、そしてそれに対する絶賛の空気の中、結末に対する“ツッコミどころ”は殆ど黙殺された。
黙殺。その言い方は正確ではないかもしれない。自分が感じた印象を率直に語るならば――
「賛」の側に居る大勢はその“ツッコミどころ”を意識の外に追いやり、
「否」の側に居る少数は過去の虚淵作品との比較等の分析を行いつつ批判しながらも、多勢に無勢、いつしか消えていった。
自分はどちらかと言えば前者に含まれる。“ツッコミどころ”にもやもやしつつも、絶賛せざるを得なかった。だからこれは言い訳になるが、「意識の外に追いやり」などと「思考停止認定」のようなことを書いたのは、自戒の意味が大きい。
そしてこれもまた言い訳じみているが、後者を「消えた」などと書いたのは、あの最終回以降、自分がその批評力の鋭さに感心していた何人かのツイッターユーザーが、まどマギに批判的な感想を残したあと、アカウントを消すなどしてタイムラインから消えていったからだ(まどマギ批判はそうした行動に追い詰められた「原因」というよりは、そうした行動に向かう「兆し」に過ぎなかっただろうが)。
では、その“ツッコミどころ”とはなんだったか。
至って単純。

「まど神様が何でも出来るんだったら、魔法少女が消滅するシステムじゃなくて蘇生するシステムを造ればいいんじゃないの?」

それを言ってしまっては身も蓋もない、というツッコミどころではある。
でも、やっぱり避けては通れないツッコミどころだと思う。

「まどマギは『社畜アニメ』」。
あの結末を端的に批判する、秀逸な一言だと思う。
巨大なシステムのもとで、文字通り心身を砕いてきた者が最後の刻に至るとき、その戦いの日々を優しく肯定してやる。安らかに看取り、輪廻の外へと導く。

犠牲を強いるシステム自体を破壊する、という結末では無かったのだ。
犠牲を以てシステムを、優しい救済が約束された形に改変する、という結末だったのだ。

この結末、というより結論に、自分はそれほど不満を持っていたわけではない。
そもそも自分は、巨大なシステムの破壊、という結末にはそれほどリアリティは感じない。軽はずみに「リアリティ」などと言うと語弊がありそうだが、ともあれ、好みの物語の型ではないことは確かだ。そう思うのが何故かと考えると、ソ連の崩壊だ大きな物語の崩壊だというスケールの大きな批評的理由よりは、自分自身の境遇が根ざしているように思う。
自分は「システムの上で生きること」を選んだ人間だ。幾度か逸脱を考え、挫折に陥ったが、原点のシステムに乗っかることが最良だと結論し、それを選択した人間だ。
自分があのTVシリーズの結末を見たのは、まさに大学を辞め、社会システムの下での再起を図って浪人し始めた、不安な時期だった。だからきっと、あの結論に、自分の選択の肯定のようなものを見出していたのかもしれない。
今はその選択も報われ、ひとまずはシステムに乗るべく安定したところだ。
安定はしたし、選択を覆すつもりなど少しも無いものの、いくらかの後悔はある。
だからこそ、だろうか。『叛逆の物語』の公開が迫るこの頃、TVシリーズの結論には概ね満足だったけれど「その先」を見てみたい、という気持ちが非常に強まっていた。

では、実際に『叛逆の物語』が見せてくれた「その先」とはなんだったのか。
やはり、巨大なシステムの破壊、だったのか。
“叛逆”と呼ぶからには、魔法少女システムをもたらすオーバーロード、キュゥべぇを滅ぼすのか。
そうではなかった。そりゃそうだ。なんせ、オーバーロードどころかオーバーマインドが生まれた世界の話なんだから。

先ほど言ったように自分は、巨大なシステムを「破壊」する物語を好まない。
しかし、巨大なシステムに強烈な意志――とりわけ悪意に分類される感情をぶつけ、自らを焼き付けてやるような物語は大好きだ。
ファイトクラブやダークナイトなんか、まさにそうだろう。
魅力的な悪役――ヒール、ヴィラン、あるいはダークヒーロー――が、完全なる正気のもとに、狂気じみたテロを行う。その「狂気じみた正気」の根本には何かへの「執着」がある。その執着の前には、他のことなんか知ったこっちゃない。

『叛逆』は、まさにそうした物語だったと思う。ほむらが、まどかへの執着(劇中では、はっきりと「愛」と言っている――これを台詞で明確にすることにはスタッフでも議論があったらしい)のもとに、システムを律する存在に対して叛逆の意志を示す。

何より面白いのは、叛逆の意志を叩きつける対象だろう。
魔法少女システム(=キュゥべぇ)ではなく、なんと、円環の理というシステム(=まどか自身)なのだ。
まどかの犠牲の果てに得られた救済のシステムを否定し、喪われたまどかを希求する。「サイコレズ」と呼ばざるを得ない、アウトローとしてのほむらの覚醒の物語だったのだ。

本作では、執拗に「円環の理」のモチーフが描かれる。
ほむらのソウルジェムが渦潮の中を回る冒頭。
まどかを中心にしてぐるぐると追いかけ合うさやかと杏子。
巴型を為して空へ上る、ひとみと恭介。
ナイトメアをお菓子にして円卓を囲んで歌う、魔法少女達のお茶会。
見滝原から出ることなく、市内を循環し続けるバス。
くるくるとバレエのように踊りながら変身する、魔法少女達。
英題の「rebellion」にダブルミーニングを持たせるがごとく、近接して互いに回り込みながら撃ち合うほむらとマミ。


対して、ED後のパートでは、破壊された円環の理のモチーフが描かれている。
半月、というよりは半分に削られた満月、と呼ぶべき形で浮かぶ月。
旧作より増していた体の丸みをすっかり失い、ふさふさのぎざぎざになってしまったキュゥべぇ。

このようなモチーフに代表されるように、ほむらが円環の理に叛逆する、という物語なのだが、そうなるまでには幾重かの入れ子構造を経る。
実はほむらの妄想に過ぎない楽しげな世界、実験材料として囚われた現実のほむら、妄想世界に介入する円環の理とその手下の魔女たち、そんな救済の使徒を利用して世界を書き換えるほむら。
こうした構造の移り変わりが、目まぐるしく行われる。
いささか説明過剰な感があったTVシリーズや総集編映画と異なり、その転移に伴う説明台詞はあくまで最低限度に刈り込まれていた。
説明台詞の代わりに、劇場用にダイナミックになったイヌカレー空間や、画面狭しと動き回る魔法少女たちが、異様な密度で世界の転移を見せてくれる。そんな映画になっていた。

今考えれば、昨年全国の劇場で上映された『始まりの物語』と『永遠の物語』が(「映画」としての画面や脚本構成の工夫はありつつも)頑なに「総集編」の枠に収まっていたのは、それこそTVシリーズの「ループもの」として性質を守り、この『叛逆の物語』の「ループ破壊」に寄与するためだったのかもしれない。

自らが望んだループから脱出したのと同時に、少女から神と化したまどかの作ったループに従うことになった少女ほむらが、自らの作ったループに囚われ、そこから救い出そうとするまどかを無理やり取り込んで、神と対立する存在である悪魔と化す。
対立すること。言い換えれば、並び立つこと。
まどかを救う願いのために空回りし続けるほむらでもなければ、神と化したまどかに救われるだけのほむらでもない。
TVシリーズは「ほむ×まど」が「まど×ほむ」へと「逆転」する百合アニメだったが、そこからさらに「叛逆」するサイコレズ映画だった。

サイコレズサイコレズ言うとほむらを狂人扱いしてるようだし、まぁ実際狂人ではあると思うのだが、それでも、先述のように「正気のもとに狂気を行う」という状態を結末に合っても保っていることは明確に読み取れる。
それは、「まどかが居れば他のことは知ったこっちゃない」態度でありつつも、悪魔である自らへの抑止力となりうる魔法少女や魔女の存在を認めていること。そして、まどかが自分の選択を否定する未来すら受け容れようとしていること。
視野狭窄気味だったTVシリーズのほむらに比べて、こういう寛容さは「成長した」と言える。まぁ、「まどかしか見えていない」選択を為す点では視野狭窄が進んではいる、とはいえ。
ともあれ、ひとまず「まど×ほむ」と叛逆した関係が、再び「ほむ×まど」へと逆転する可能性すら受け容れている。これこそが、「並び立つ」関係性の完成を示しているのではないか。

「教義の為なら神をも殺す」
そんな台詞が思い浮かぶ、実に好みの物語だった。

○まとめ
「まど神様が何でも出来るんだったら、魔法少女が消滅するシステムじゃなくて蘇生するシステムを造ればいいんじゃないの?」
この“ツッコミどころ”に対して、どう出るか。どう“叛逆”するというのか。
昨年の劇場版が終って予告編が流れたときから気になっていた疑問であり期待でした。
そして、やはりと言おうか、単純に「0に還して蘇生する」という答えではありませんでした。
TVシリーズでまどかが辿り着いた、犠牲を肯定し救済するシステムを0に還すのではなく。
あくまで、ほむら個人の執着を極限へと昇華し、システムと化したまどかと並び立つこと。
それが、示された答えでした。
ほむらというキャラクターの極端な部分を真摯に見つめてさらに極端にした、そんな素晴らしい答えだったと思います。

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SFを中心に、様々な作品に触れようと目論んでいる。
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